【アラカンスター誕生 第2回】60代で歌手デビュー!夢を形にした漢方薬剤師と“伝える音楽”の挑戦

たった一人でも夢は形になる


60代で歌手デビュー?そんな挑戦を聞いて、「自分には関係ない」と思う方も多いかもしれません。

でも、みっちー先生は違いました。
彼は“夢を実現させたい”という思いを抱いたまま、60代になっても情熱を失っていませんでした。

私は、そんなみっちー先生の話を聞いたとき、心が震えました。
「この人の夢を、一緒に形にしたい」と強く思ったのです。

制作チームもなく、専門スタッフもいない。
でも私には、曲を作る力がありました。
そして、彼には届けたい“想い”がありました。
この二つが出会って、音楽プロジェクトが動き出したのです。

“漢方×音楽”という新しい自己表現

みっちー先生には、もう一つの顔があります。
それは長年、地域で人々の健康を支えてきた漢方薬剤師としての顔。

彼の音楽には、「誰かの体と心を少しでも軽くしたい」という想いが込められています。

そこで生まれたのが、「漢方の知恵を歌に乗せて伝える」というユニークな試みでした。
実際に、Instagramのライブ配信では、
ウクレレを弾きながら漢方の豆知識を語るライブを実施。
フォロワーからは「癒される」「面白い!」という声が多数届き、彼の中で「伝えることの喜び」が膨らんでいきました。

ウクレレも55歳から始めた

不安と向き合い、レコーディングへ

もちろん、すべてが順風満帆だったわけではありません。

「自分の声で大丈夫だろうか」「誰かに届くのかな」
彼の口からこぼれる不安の言葉も、たくさん聞いてきました。

でも、音楽という表現は、完璧であることよりも「想い」が伝わることが何より大事です。
私はそう信じて、彼の背中を押し続けました。

そして、ついに迎えたレコーディング当日。

西宮市夙川「スタジオ・ヌーヴ」さんにて


マイクの前に立ったみっちー先生の目には、40年越しの想いがにじんでいました。

アラカン世代の挑戦は、誰かの希望になる

この挑戦は、ただの自己満足ではありません。
同じように「もう遅いかも」と夢を諦めかけた人にとって、
みっちー先生の姿は「第二の人生を始める希望」になるのです。

人生100年時代。
60代で始めたって、遅くなんてない。
「やってみたい」と思ったその時が、人生のスタート地点です。

次回予告

次回【第3回】は、いよいよ完成した楽曲の配信、
そして周囲の反響についてご紹介します。どうぞお楽しみに!

「自分にも何かできるかも」そう感じたあなたに、無料のステップメール講座をご用意しています。

👉 プロジェクトを知るための無料メール講座に登録する

アラカン☆スター誕生プロジェクト
https://ukulele-tsukamu.com/lp/
プロデューサー ツカム

令和の時代こそ歌謡曲

令和の時代こそ歌謡曲

 

歌謡曲について妻ととりとめのない会話を楽しんだ。

 

「思い出の歌謡曲といえば?」という問いかけをしてそれぞれ5曲ずつピックアップして、なぜその曲を挙げたのかについて話した。

妻が挙げたのは、太田裕美「木綿のハンカチーフ」、欧陽菲菲「ラブイズオーバー」、サザンオールスターズ「ラブアフェアー~秘密のデート~」、テレサテン「時の流れに身をまかせ」、槇原敬之「東京DAYS」であった。(歳がバレる~)

 

私は、いしだあゆみ「ブルーライトヨコハマ」、沢田研二「時の過ぎゆくままに」、寺尾聰「ルビーの指輪」、欧陽菲菲「雨の御堂筋」、サザンオールスターズ 「チャコの海岸物語」である。(歳がバレる~)

 

 

 

妻に選んだ理由を聞くと、切ない感情が沸き起こってくる曲を選んだという。「東京DAYS」だけは上京して不安な気持ちを表現していて、それ以外は叶わない恋の切なさの歌である。私は昔から「歌謡曲とはストーリーの内容に関わらず歌えば機嫌良くなる」という定義を持っている。

 

また、

私の小学校時代は歌謡曲のランキング番組もあり、何がヒットしているかという話題も学校の中で盛んであったので、当時のヒット曲と学校での出来事や友人の思い出とが結びついている。例えば、沢田研二の「時の過ぎ行くままに」を聴くと、ドーナツ盤のレコードジャケットが鮮明に思い出され、一緒に口ずさんでいた友人の名前が今でも思い出せる。しかし、これは私だけの経験かもしれないが、よく聴いていたクラシックの名フレーズ(例えばチャイコフスキーピアノ協奏曲第1番第一楽章の第一主題)を聴いても、聴いていたその当時を思い出すことはない。

 

ということは、歌謡曲はその時代の空気感や緊張感も表現していたのかもしれない。

 

「自分が今考えているのはこれだったのだ」と思わせることが、歌謡曲の役割だと主張していたのは作詞家の故・阿久悠氏である。彼の著作「企みの仕事術」の中でこのように述べている。

 

歌謡曲はリアクションの芸術かもしれない。送り手がいかに意欲的であり、情熱的であても、リアクションがない限り何の価値もない。毎日、ひとつでもふたつでも何かが跳ね返ってくることを期待しながらボールを投げ続ける。

そのうち幾つかが跳ね返ってきて、初めて作詞家として充実感を覚える。では、ボール をぶつけるべき壁、跳ね返してくれる壁とは何か。それは時代の飢餓感だと思う。今、何が欲しいのだろう、というその飢餓感の部分にボールが命中したとき、歌が時代を捉えたといってもいい。(引用ここまで)

 

確かに、その時代に生きている人たちの無意識の代弁者が歌謡曲なのかもしれない。大ヒットした「ピンポンパン体操」は、なんとキャバレーの踊り子から流行りだしたし、「およげたいやきくん」は組織内で身動きが取れない哀しいサラリーマンの大きな共感が、シングル売り上げ枚数新記録を打ち立てたと言われている。

 

阿久悠氏の「企みの仕事術」は平成18年初版であるが、12年以上経過した今も何も変わっていないと思われることがある。この著作の中で彼は「今、聞き耳を立てていれば、恋の歌かがんばりましょうという歌の2つのテーマしかない」と述べている。歌謡曲がJ-POPと名称が変化しただけで、何も進歩・発展していないということである。今もそうではないか?もう少し私が補足するならば、平成30年の歌は、「あなたと出逢えてよかった」と「人との繋がり」の歌ばっかりだと感じて辟易している。

もちろん、歌謡曲は商業歌であるから、売れる可能性のあるものしかリリースしないというレコードレーベルの思惑は理解できる。しかし、阿久悠氏が真剣に求め続けた時代の飢餓感を映すような楽曲が今こそ求められているような気がする。

 

歌謡曲とは何か?

歌謡曲は、歌舞伎やクラシック音楽などの再現芸術ではないのだから、その時代に生きる人々の無意識の代弁者であるべきだ。どの業界も趣味・嗜好が多様化して大ヒット商品は作れないと言われているが、そうではないと思う。今を生きているわれわれの「こころの叫び」を表現する歌謡曲が生まれると、「およげたいやきくん」を超える「日本で最も売れたシングル曲」になり得ると考える。

 

  • 参考文献

小泉文夫「歌謡曲の構造」冬樹社

阿久悠「企みの仕事術」KKロングセラーズ

私の彼の発想法

私の彼は左きき

 

麻丘めぐみ「私の彼は左きき」
これも一世を風靡するほどヒットしましたね。さすがにツカム少年もこの曲では先生を困らせることはなかったです。

作詞はつい最近お亡くなりになった、千家和也さん。

 

 

千家先生の代表作は、
「なみだの操」殿様キングス、「年下の男の子」キャンディーズ、「終着駅」奥村チヨ、「ひと夏の経験」山口百恵、「花の子ルンルン」などいっぱいです

千家先生と一度、作品作りをさせていただきました。先生が書かれた詞に私が作曲。2曲作りました。楽曲はリリースされなかったけど、今振り返ると貴重な体験でした。

 

 

先生のお宅で打ち合わせをして、
そこから銀座へご飯に連れて行っていただきました。

あの有名な銀座のラウンジも(その女将が亡くなったった時、新聞にもでるぐらいのお店です)連れて行っていただきました。
お店を予約する電話で先生が、

「ふたりともニット姿なんですが行ってもいいですか?」と聞いていいたこと鮮明に覚えています。

その席で私は聞いたのです。
「私の彼は左きき」のアイデアって、○○じゃないですか?」

すると先生は、「それは教えてられない!」
たぶん図星だったと思います(笑)

うなるほどの昭和の名曲です。

 

 

PAGE TOP