音楽とはLiveそのものである~ウクレレの日に見出した音楽の原点と癒し

大阪豊中市の服部緑地公園の植物園。
陽射しが柔らかく差し込むLive会場。
「ウクレレの日」と名付けられたイベントの空気は、どこか懐かしさと新鮮さが混ざり合っていた。人々の笑顔、ウクレレの奏でる温かな音色、そして風が運んでくる自然の香り。

私が率いる「オー・ミドースジband」も参加した。
そしてこの日、私は音楽の本質について深く考えさせられることになった。

音楽の歴史と変遷 – 原始から録音技術まで

音楽の起源は人類の歴史と共に古く、原始的な太鼓の響きや声を使った儀式から始まったとされている。古代の人々は自然界の音に耳を傾け、それを模倣し表現することで、自分たちの感情や物語を伝えてきた。木の枝を叩く音、手を叩く音、そして何より人間の声。これらが最初の「楽器」だったのだろう。

時代が進むにつれ、様々な文化圏で独自の楽器が生まれた。ウクレレもその一つだ。19世紀にポルトガルからハワイに伝わったとされるこの小さな弦楽器は、「飛んでくる蚤」という意味の名前を持ち、その小ぶりな姿と明るい音色で多くの人々を魅了してきた。

音楽の歴史において大きな転換点となったのは、録音技術の発明だろう。エジソンがフォノグラフを発明した1877年以降、音楽は「その場限り」のものから「保存できる」コンテンツへと変化した。これにより音楽は商品化され、大衆文化として急速に広がっていった。レコード、カセットテープ、CD、そして現代のストリーミングサービスへと、音楽の届け方は変わっても、人々の心を動かす力は変わらない。

ウクレレが奏でる純粋な音楽体験

「ウクレレの日」の会場では、そんな音楽の歴史を超えた原点のようなものを感じた。デジタル処理された音楽ではなく、目の前で奏でられる生の音。フォークダンスの曲に合わせて、ええ大人が楽し気に踊っている。

プロフェッショナルな技術よりも、演奏者の笑顔と観客との一体感。複雑な編曲よりも、シンプルな旋律と心地よいリズム。

ステージ上のプレイヤーたちは、特別な衣装や派手な演出に頼ることなく、ただウクレレと向き合い、音を紡いでいた。その姿に、私は音楽の本質を見た気がした。技術や理論ではなく、「表現する喜び」と「共有する温かさ」。それはまさに音楽が生まれた時から変わらぬ価値なのだろう。

会場には様々な年齢層の人々がいた。子どもたちは無邪気に体を揺らし、若者たちは友人と語らいながら音を楽しみ、年配の方々は静かに目を閉じて聴き入っていた。ウクレレの音色は、世代を超えて人々の心に届いていた。

この動画は我々の演奏ダイジェスト。
「オー・ミドースジ」と「祝!我らウクレレ芸仲間」

私自身、普段は楽曲制作に没頭し、音を組み立て、編集することに多くの時間を費やしている。デジタルツールを駆使して一音一音を調整し、「完璧」を追求する日々。それはそれで創造の喜びがあるのだが、どこか機械的な作業に陥ることもある。

原点回帰 – 音楽創作者の気づきと新たな一歩

しかし、この日は違った。私は「作る側」ではなく「受け取る側」として、純粋に音楽を楽しんでいた。風の音、人々の話し声、そしてウクレレの音色が混ざり合う自然な音響空間の中で、私は久しぶりに「音楽に身を委ねる」という体験をした。

「自分たちの演奏に癒された」という表現は確かに少し変かもしれない。しかし、この日感じた癒しは、単に耳に心地よい音を聴いたという表面的なものではなく、音楽という表現形態の原点に触れた安堵感だったように思う。

時に私たちは、あまりにも「作る」ことに集中するあまり、「感じる」ことを忘れてしまう。技術を磨き、作品の完成度を高めようとするあまり、音楽が本来持つ「人と人をつなぐ力」や「今この瞬間を共有する喜び」を見失ってしまうことがある。

「ウクレレの日」の体験は、私にとって原点回帰の時間だった。デジタル処理された「完璧な音」より、多少のミスがあっても温かみのある「生の音」。計算された演出より、自然発生的な会場の一体感。それらが音楽の真髄なのだと、改めて気づかされた。

帰り道、私は頭の中でウクレレの音色を反芻しながら、自分の音楽制作について考えていた。技術や完成度を追求することは大切だが、それと同じくらい「聴く人の心に届く」ことも重要なのだと。そして何より、自分自身が音楽を楽しむ気持ちを忘れてはならないと。

陽が沈み始める空を見上げながら、私は次の楽曲についてのアイデアが湧いてくるのを感じた。それは従来の私の作風とは少し違う、シンプルで温かみのあるもの。「ウクレレの日」で感じた癒しを、今度は私が音を通して誰かに届けたい。そんな思いが、静かに心の中で形になり始めていた。

                        「祝!我らウクレレ芸仲間」のコード譜

YouTube提携アルバム【ウクレレクリスマス弁当】 ツカムチャンネル

ウクレレクリスマス弁当

2021年11月配信「ウクレレクリスマス弁当」

トナカイさんがウクレレ弾いた

 

トナカイさんがウクレレ弾いた」

 トナカイさんがウクレレ弾いた
 サンタのお仕事投げ出して
 トナカイさんがウクレレ弾いた
 とっても楽しそう
 
 
  毎年の荷物運びに
  ちょっぴり疲れたの 
  時には少し弾けて
  歌って踊りたい 
 
  アンアンアアンアン
 
 トナカイさんがウクレレ弾いて
 またひとつ夢見つけた
 
       (C)ツカム

 

 

LET IT SNOW~今年も楽しかったね~

 

 

LET IT SNOW ~今年も楽しかったね~

 きっとあなたは来てくれる
 確信があったのよ
 だって こんな雪だもの
 Let It Snow Let It Snow Let It Snow
 
 町中に着いた足跡
 家路に帰っていく
 一筆書き雪景色
 Let It Snow Let It Snow Let It Snow
 
  クリスマスにkiss tonight
  今年も会えたね
  一年で一番 笑えるときかもね
 
 また降り出した雪さえ
 温かく思えてくる
 今年も楽しかったね
 Let It Snow Let It Snow Let It Snow
 
        (C)ツカム

 

 

大阪ゴスペルナイト

 

大阪ゴスペルナイト

 大阪ゴスペルナイト 飲みたいよ
 嗚呼 懺悔の日々 許されるなら
 
 大阪ゴスペルナイト 悲しいよ
 嗚呼 迷子のよに あおるバーボン
 
 大阪ゴスペルナイト 泣きたいよ
 嗚呼 夢のカケラ 散らかしたまま
 
 クラプトン聴いて 夜にもたれても
 諸★行☆︎無★常〜
 
        (C)ツカム

 

聖なる夜の名探偵

 

聖なる夜の名探偵

 サンタを待ち続けて 眠りたくない夜は
 プレゼントの中身なんて どうでもよかった
 どこから侵入する?
 やっぱ丑三つ時か?
 布団の中息ひそめて 推理めぐらすのさ
 
  でも待ちきれなくて
  聖なる夜に魔法かけられる
  ZOO ZOO ZOO
 
 サンタの好きなワルツで踊ろう
 雪のため息感じながら
 Silent Night Holy Night
 あの頃の僕とウクレレではしゃごう
 
 父ちゃんも母ちゃんも かなり共犯者かも
 怪しすぎるあの目くばせ 見逃しはしないさ
 
  でも眠たくなって
        聖なる夜に取り残されてく
  ZOO ZOO ZOO
 
 サンタの好きなワイン飲もうか
 星のまたたき数えながら
 Silent Night Holy Night
 あの頃の僕とウクレレでハモろう
 
  Silent Night Holy Night
  Silent Night Holy Night
  あの頃気づかなかった幸せなストーリー
 
        (C)ツカム  

 

ウクレレせたろうて何処行こう

 

ウクレレせたろうて何処行こう

 ウクレレせたろうて何処行こう
 東へ西へ南へ北へ
 ウクレレせたろうて何処行こう
 初恋のあの子が住んだ町へ
 
  甘酸っぱい思い出を取り戻そう
  忘れかけたあの日々に
  また会いに行こう
  ララララ
 
 ウクレレせたろうて何処行こう
 歩き疲れたなら ポロンと鳴らそう
 ウクレレせたろうて何処行こう
 アセラズ気負ワズ 雨ニモマケズ
 
  子どもっぽい企みをやり直そう
  忘れかけたあの日々を
  困らせに行こう
  ララララ
 
 ウクレレせたろうて何処行こう
 
         (C)ツカム

 

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ボサノヴァのサウダージとは?

私が初めてボサノバという音楽を聴いたのはたしか大学生のころだったように思う。

 

工学部生でありながら、
バンドサークルに所属しオリジナル作品(作詞・作曲)を少しずつ発表していた。

 

オリジナルを作っていくには音楽の引き出しを多く持っていないと、
すぐにマンネリ作品になってしまうことは痛感していたので、
ロック・クラシック・日本の流行歌などむさぼるように聴いていた。

 

そんな時に、
アントニオ・カルロス・ジョビンのアルバム「WAVE」に出会った。

 

当時の感想としては、あまり主張するメロディは感じられないし、
どことなく浮遊感のある音楽だなあと感じた。

それがボサノバのリズムとテンションコードのせいであると
理解したのはずいぶんと月日が経過してからだった。

 

ボサノバという音楽は1950年代にブラジルで誕生したサンバを基調に
モダンジャズの影響を受けて誕生したといわれている。
世界中に広まったのは以下の逸話が有力な説であろう。

 

1963年にアントニオ・カルロス・ジョビンとジョアン・ジルベルトが作ったアルバムの1曲に「イパネマの娘」があった。
ジョビンが作ったこの曲、録音ではジョアンが歌ったあと、
その妻だった二十二歳のアストラッドが英語で歌っていたが、
曲の尺が長すぎてシングル化できないため、
アストラッドだけの歌唱のシングルが発売された。

この曲がアメリカだけでなく世界に、
ボサノバという新しい音楽の話題を爆発させた。

ブラジル音楽を知らない人たちに、
アマチュアでしかなかったアストラッドの舌足らずなヴォーカルが、
ボサノバという音楽のイメージを作りあげた。

 

私はその後も様々なブラジルの歌手のボサノバをCDで購入して楽しんだ。
その歌詞カードの日本語訳に頻繁に出てくる「サウダージ(saudade)」という単語の響きが心に残っていたのを思い出す。

サウダージの意味について、
「ボサノヴァの真実」ウィリー・ヲゥパー著に以下のように書かれている。

 

ブラジル音楽を理解するキーワードとして「サウダージ」という言葉も挙げておこう。

ブラジル音楽を長く聴いている人なら一度は耳にしていると思うが、実は的確に当てはまる日本語はない。あえて訳せば「郷愁」「無くしたもの、もう手に入らないものの懐かしさ」といったような意味になる。母国を離れ新大陸に渡ってきたョーロッパ系白人やアフリカから強制的に連れて来られた黒人奴隷等、彼らが遠く離れたルーツを想い出すときの心境に近いだろう。ブラジル音楽にはョーロッパ伝来のキリスト教会の讃美歌の旋律やアフリカ奴隷の望郷のリズムが溶け込んでおり、彼らの遺伝子が無意識に反応しているのかもしれない。(引用ここまで)

 

アイデアとは既存のものに何か少しの要素を付け足すことによって生まれるといわれるが、
音楽もまさしくそうなのである。

サンバ+ジャズ→ボサノバであるならば、
今ある日本音楽に何か新しい音楽を組み合わせると、
世界を席巻するような新しい音楽が誕生する可能性は十分にある。

 

日本の歌謡シーンに初めてボサノバをベースとした楽曲でのヒットは、
おそらく荒井由実の「あの日に帰りたい」だろう。

この曲がリリースされたのは1975年10月、
日本の音楽シーンは歌謡曲(流行歌)の中に、
フォークソングというジャンルが台頭してきた頃である。

そんな中、教会音楽の要素などを取り入れて、
ニューミュージックという言葉の礎となったのが、
荒井由実の音楽だった。

その他、丸山圭子「どうぞこのまま」や、
八神純子「思い出は美しすぎて」がその後ヒットしたが、
どちらも秀逸な歌謡曲であると思うし、私も大好きである。

最後に手前味噌で申し訳ないが、
私もボサノバの曲を作曲してリリースしたことがある。

1997年9月、日本クラウンレコードから、
木村みゆきの歌唱で「ミッドナイトボサノバ」
(作詞:南田圭、作曲:塚本誠一郎、編曲:青木望)リリースした。

残念ながらもう廃盤になっているが、
YouTubeやSoundcloudでは別の歌い手がカバーしている動画や音源をいくつか見つけた。
自分の作品が知らないところで歌われていることを知るのは作り手として本当に幸せを感じる。

ボサノバはこれからも意欲的に作っていきたいジャンルのひとつである。

 

  • 参考文献

ポピュラー音楽の世紀」中村とうよう著 岩波新書

ボサノヴァの真実」ウィリー・ヲゥパー著 彩流社

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