私の彼の発想法

私の彼は左きき

 

麻丘めぐみ「私の彼は左きき」
これも一世を風靡するほどヒットしましたね。さすがにツカム少年もこの曲では先生を困らせることはなかったです。

作詞はつい最近お亡くなりになった、千家和也さん。

 

 

千家先生の代表作は、
「なみだの操」殿様キングス、「年下の男の子」キャンディーズ、「終着駅」奥村チヨ、「ひと夏の経験」山口百恵、「花の子ルンルン」などいっぱいです

千家先生と一度、作品作りをさせていただきました。先生が書かれた詞に私が作曲。2曲作りました。楽曲はリリースされなかったけど、今振り返ると貴重な体験でした。

 

 

先生のお宅で打ち合わせをして、
そこから銀座へご飯に連れて行っていただきました。

あの有名な銀座のラウンジも(その女将が亡くなったった時、新聞にもでるぐらいのお店です)連れて行っていただきました。
お店を予約する電話で先生が、

「ふたりともニット姿なんですが行ってもいいですか?」と聞いていいたこと鮮明に覚えています。

その席で私は聞いたのです。
「私の彼は左きき」のアイデアって、○○じゃないですか?」

すると先生は、「それは教えてられない!」
たぶん図星だったと思います(笑)

うなるほどの昭和の名曲です。

 

 

Waikiki のことはワイにキキ

Waikiki のことはワイにキキ

ハワイアンのオリジナル曲ができました。

 

現在通っている大阪芸術大学音楽部の専門取得単位のひとつに
「音楽データベース」というものがあります。

これは、自分のネイティブな情報を後世のためにデータベース化して残していくというもの。

 

1年次、2年次と計12日の講義と実習を経て、
最後の6日間の仕上げの授業です。

 

学生はそれぞれ自分の興味があり研究したいテーマについて、
調査してデータなどを集めてデータベース化していきます。

 

私は「ハワイアンミュージックの曲の分析」を取り上げました。

 

というのも、
ウクレレ演奏でいろんな施設など慰問演奏に出かけますが、

ウクレレで演奏しても「ハワイアン」っぽくない楽曲も多くあり、

なぜ、「ハワイアン」はハワイアンらしいのか?

という疑問があったからです。

 

スタンダードなハワイアンミュージック15曲のコード進行を分析しました。
そうすると、ハワイアンらしいコード進行が見つかったのです。

 

そして、その進行に基いて作曲したのがこの「Waikikiのことはワイにキキ」です。
ハワイを思い出しながら楽しんでくれると嬉しいです。

詳しい研究データはまた別の機会に載せたいと思っています。


「Waikikiのことはワイにキキ」作詞&作曲&歌 ツカム

もう少しアレンジを丁寧にやって、近いうちに「TuneCore」で世界一斉配信する予定

2021年5月、iTunes から配信が始まりました。ありがとうございます。

【クリスマスソングの作り方】
https://ukulele-tsukamu.com/2020/01/07/write_christmassong2/

 

やめろと言われても

やめろと言われても

 

昭和の歌謡曲の話をするとき必ずする話がある。

 

当時小学生だったツカム少年は歌謡曲がダイスキ!

沢田研二、フィンガー5、山口百恵、アグネス・チャン。

 

そして、振り付けやアクションを新曲が出るたびにまねをした西城秀樹。

とくにこの「激しい恋」が好きだった。もちろんレコードも買った。

歌の出だしが超カッコイイ。

(^^♪ やめろと言われても 今では遅すぎた・・・

振り付きで何度も歌った。

 

誰かにこの曲の素晴らしさを伝えたくて伝えたくて、、

機会をうかがっていたら、

 

何かのことで先生から注意された。

「塚本くん、それはやめなさいと言ってるでしょ!」(怒)

「やめろと言われても、チャカチャカチャカ チャーランチャッチャッ」(ツカム)

当時の先生、ごめんなさい。さぞかし子憎たらしかったでしょう。

 

いえ、それほど、当時の歌謡曲はインパクトのある曲ばかりだったんです。

 

 

レコード大賞も受賞した、ちあきなおみ「喝采」

サビの部分の「あれは3年前 止めるあなた駅に残し・・」が印象的だった。

 

またまた、使う機会をうかがうツカム少年。

 

「塚本くん、ここ掃除したって言うけど、いつやったんですか?」(怒)

「あれは3年前、、、(^^♪」(ツカム)

 

本当にごめんなさい。

あまりにも先生に口ごたえばかりするので、

親が呼び出され「あなたの子供は赤軍派みたいになりますよ」と注意されたそうな。

 

これほど子供の心をわしづかみにする曲が今現在ありますか?

そう思うと幸せな時代でしたね。

 

これからは私が、そのような歌を作っていきたいものです。

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